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2008年3月22日土曜日

絵の考察について

アランを読んで、何かインプレッション、感銘のようなものが残っているのが、
「描きながら思考する云々」の箇所。

絵を「これでいい」と思った時に、絵は一応の完成をする。
もちろん100%満足っつうのはありえない。
描き手によって、「これでいい」の感覚は違う。
もちろん「これでいい」には時間的な制約もあるし、技術的な限界もあるんだけど、いわば美しさの限界でもあるかもしれない。

それら限界というものは、過去の絵を見て如実に感じる事が出来る。
だからまた描くわけです。

描く には鉛筆を動かさないといけない。
その鉛筆を動かす為には手等の身体を動かさないといけないわけです。
手が、身体が技術を熟練させ、時間を短縮させるわけです。
いや、当たり前の事です。
でもこの当たり前の事が究極的に重要なのです。
そして、美しさ、これがものすんごく深い。
とりわけ美を演出する色ってものがまた深い。
色は感情をより表現するみたいな事をアランは書いてるんだけど、それが良くわかる。
でもその感情っつうのが、今思うと邪魔だったりするわけです。
感情が美しいとは限らないからです。
だから、一旦冷静にならないといけない。
そして、「描きながら思考云々」に帰結するのです。

つまり僕のような下手っぴは描く時の手の動きも下手だし、技術も美意識もまだまだっつうことなのです。

絵を見る人が「あれ?」っつうところがあったらダメなんだよなぁ。
描いている時にその「あれ?」っつうのが自分で分かっていながら、修正しないのはもっとダメ。

まぁこんな事を最近考えて自省しておりますw
絵が好きな人には解ってもらえるかなぁ?

monokuro.jpg


よく一旦描いた下書きとか、一日ほっておけみたいな事を言われる。
客観的に観る(観という漢字はよく見る、思考、研究という意味もある)事が目的なんだろう。

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